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鳥羽の作道は、鳥羽殿建てられて後の号にはあらず。昔よりの名なり。元良親王、元日の奏賀の声、甚だ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作道まで聞えけるよし、李部王の記に侍るとかや。

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■ 現代語訳 クリックすると訳文を隠すことができます

 鳥羽の新街道(※注1)は、鳥羽宮殿(※注2)が造られた後につけられた名前ではない。昔からある名前なのであった。元良親王(※注3)がお正月にお祝いの言葉を述べていたとき、たいへん優雅で立派だったのが奥の神殿(※注4)から鳥羽の新街道の方まで聞こえてきたと、李部王(※注5)のダイアリー(要するに鳥羽宮殿の造られた前の出来事)に書いてあったとかいう。

■注

(※注1 京都市下京区九条の四つ塚から上鳥羽、下鳥羽に続くバス通り)(※注2 白河天皇が作った宮殿。後に仙洞御所になった)(※注3 陽成天皇の長男で歌人)(※注4 天皇の公式行事に使われた家屋)(※注5 醍醐天皇の皇子。式部卿重明親王)

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