久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、恥づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、今日ありつる事とて、息も継ぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事を言ひてもいたく興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど計られぬべき。
人の身ざまのよし・あし、才ある人はその事など定め合へるに、己が身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。
長いこと逢っていなくて久しぶりの人が、自分から近況報告を次から次へ節操もなく話しだし止めないのは、おもしろくない。遠慮のいらないぐらい仲良しでも、しばらくたってから逢えば、ちょっとは遠慮する気持ちがわいてくるもののようなきがする。品のない人間は、ちょっとお出かけすると、「今日のできごと」などと言い、呼吸している暇があるのか心配になってしまうほど、うれしそうに話まくっている。品のある人が、たくさん人がいる席で、一人だけに話しても、他の人までその話しに聞き入ってしまう。品のないやつが、目立ちたい根性まるだしで、作り話をその場でいかにも実在したことのように再現して、それにつられて一同よろこんでいるのは、やかましい。品のいい話をしても全く興味を持たなかったり、その反対に品の悪い話をして、笑い転げたりしているのを見ていれば、おおよそ知能指数の判定が可能だ。
人の外見の良い悪い話し合ったりするとき、また、勉強をしている人の場合は知能指数などを、自分と比較して話し合うのは、なんとも胡散臭く感じられる。