賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なり。人の常に言ひ粉へ侍れば、一年参りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼び止めて、尋ね侍りしに、「実方は、御手洗に影の映りける所と侍れば、橋本や、なほ水の近ければと覚え侍る。吉水和尚の、
月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人はこゝにありはら
と詠み給ひけるは、岩本の社とこそ承り置き侍れど、己れらよりは、なかなか、御存知などもこそ候はめ」と、いとやうやうしく言ひたりしこそ、いみじく覚えしか。
今出川院近衛とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書きて、手向けられけり。まことにやんごとなき誉れありて、人の口にある歌多し。作文・詞序など、いみじく書く人なり。
賀茂別雷神社(※注1)の境内にある二つの神社(※注2)の岩本社と橋本社は、それぞれ在原業平(※注3)、藤原実方(※注4)を祀っている。いつでも人々がそのことを言い間違えるので、ある年、お参りしたときに、お年を召された神社の職員がそばを通り過ぎるのを呼び止めて訪ねてみたところ「実方さんは、参拝の際に手を清める流し場に影が映ったという話もありますので、橋本社の方が水のあるところに近いので、こちらの方だと思われます。また、慈円僧正(※注5)が、
月を愛し花を見つめて放心していた昔々の風流人は 今はここに祀られている在原業平
と歌っているので、業平は岩本社の方に祀れていると聞いていますが、私などよりはあなたの方がよくご存じだと思います」と、大変親切に教えてくださって、とても感無量であった。
今出川院の中宮、嬉子(※注6)に仕えた近衛という女官(※注7)の歌人で、『続古今集』からの公式和歌集や、『続現葉集』からのプライベート歌集に、数多く入選してる人が、若かりしころ、いつも、一人でいくつかの題について何首か歌を詠み、合計で百首になるというようなことをしていた時、この二つの神社の前の流し場の水で清書したものを、和歌の神、業平に奉納した。本当にただ者ではないアーティストで、人々が口ずさんでしまう歌が多い。漢字の詩や、その序文に至るまで、いいものを書く人であった。
■注
(※注1 京都市上京区賀茂町)(※注2 賀茂別雷神社の境内に建設されたゆかりのある神社)(※注3 平安初期の歌人)(※注4 平安中期の歌人)(※注5 歌人。京都市東山吉水に隠遁した)(※注6 亀山天皇の中宮)(※注7 鷹司伊平【たかつかさこれひら】の娘。歌人)