誰でも、他人事、自分には関係ないことに口を突っ込みたくなる。宗教家は、武闘の修行に励み、武蔵野の兵隊は弓の引き方を知らないから、仏道精神を理解しているようなふりをし、和歌の遊びをしたり、合奏会などして戯れ合ったりしている。しかし、適当にすませている自分の専門に対してより、こっちの方が馬鹿にされることであろう。
宗教家だけでなく、政治家や、天皇のいる建物へ入場を許されている官僚、上流階級所属者までもが、みんな同じように個性なく戦闘を好む人が多い。もし、百回戦闘して、百回勝利したとしても、なかなか勇気を讃えてもらうことは難しい。どうしてなのかと言うと、ラッキーが重なって敵を玉砕するとき、勇者にならない人はいないからだ。武器を使い果たし、弓がなくなっても、最後の最後まで敵に降参しないで、潔く死んでしまってから、初めて武勇の名を轟かせることができるのだ。生きている間は、武力に得意になってはいけない。武闘とは、人間らしいことではなく、鳥とけものに近い行為だから、武術の専門家以外、好き好んで特訓してもろくなことがない。